誰でも学校などで授業を受けたことはあると思う。何気無く受けている授業、特に大学の講義は、実は見方によっては日本と海外では大きく違う。
日本の授業は一般的に黙って聞く形が多い。もちろん、先生のほうから質問などは飛ぶけど、一般的に授業中に生徒のほうから先生に分からない部分を質問することはない。他方、外国の場合は違う。先生も質問するし、生徒のほうからも授業中堂々と質問する。海外のほうは唾の飛ぶ距離で授業をすることが多いから、大教室で講義を受ける日本と違って先生に授業中に質問しやすい環境があるのかもしれないが、それにしても生徒のほうから積極的に先生に質問することなど我々の常識では考えられない。日本でもゼミなど講義とは違う形の授業もあるけど、それはあくまでディベート中心で、ディーベート中心ではない講義においては教室が小さかろうと大きかろうとその常識に変化はない。
仮に、我々日本人の感覚で授業中に生徒が先生に質問するとどうなるだろうか。考えられるケースは、先生が「質問は後で」と言うことだろう。また、金八先生などの一場面であるような最前列に座る優等生が「授業の邪魔だよ、いいかげんにしろよ」と言うことだろう。つまり、基本的な考え方は授業中に一個人の質問は受け付けないということだ。もちろん、授業後には親身に生徒の質問を受け付けていることは言うまでもないことである。
他方、海外の授業は違う。分からないことはその場で先生に聞く。授業中でも生徒が質問すれば先生は親身に答える。他の生徒もそれに同調して質問をすることもある。基本的に先生への質問は先生側の立場でも生徒側の立場でも授業中に犬猿されることがないのが海外的な考えだ。
とは言っても、海外でも授業後に先生の部屋を訪れて質問しても親身になって答えてくれる。別に、先生がだるいから授業中のみにしか質問を受け付けないわけではない。ということは、日本の授業中に質問を受け付けないという風潮のほうが異質であるということなのか。
これは教育的習慣というよりもむしろ日本の文化的な背景が関係していると考えられる。つまり、他人と共用する時間を自分ひとりのために使うのではなく、それはあくまでみんなの時間なのだから個を殺してチームプレーに徹するということである。それは他人に迷惑をかけないという日本古来の教えからきているものだとも考えられるし、和を重んじる日本独自の文化も背景にあると考えられる。
私自身、その文化が悪いともいいとも思わない。なぜならそれが日本固有の文化だからである。麺類を食べる時に音を出してすする日本人が悪くて、音を出さない外国人がよいとは言えないのと同様に、文化的背景が絡んでくる行動に関して、それがよいとも悪いとも言うことは出来ない。
この考えは教育の現場だけではなくほかの現場でも生きている。というよりもむしろ、日本社会全体に生きている文化である。だから、これを逸脱した人間は日本社会では受け入れられないだろうし、それは責任とか迷惑とか様々な言葉で非難の対象になる。
例えば、最近あったイラク邦人人質事件で自己責任という言葉が一人歩きしているけど、これは本来、他人に迷惑をかけた責めを問うものであって、まさにこの精神に反した人間を責める行為である。一共同体の中で生きている人間が、善意悪意に関わらず、そこから逸脱した行為若しくは無視をした行為をして結果的に他人に迷惑をかければ責めを負うことになるのは日本の文化的背景を考えれば当然のことである。日本では非難されても海外などでは非難されないのはつまりは文化的背景によるものなのだ。別に日本が極端に右翼化しているとかそういう類の話ではない。もっとも、日本というのはもともと右寄りで、今も昔も右寄りであることは変わらないので、最近、右寄りになってきたとかそういう類の世論は今回の事件には全く当てはまらない。左から言えば全て右寄りになるわけだし…。
日本にはいろいろな文化があるし、世界にはもっといろいろな文化がある。いくら国際化の時代といってもその文化的背景を逸脱した行為をすれば責められるのは当然だろう。教育現場でも一般社会でも根付いている文化ゆえにそれを逸脱しない行動を我々は行うべきであろう。つまりそれが常識ある行動であると考えられる。